加々美 好さん

郡内織物で新境地開拓

 私がこの仕事を始めたのは、学校を卒業して京都で就職してからなので、もう42年ぐらいですかね。昭和33年に法人をとって有限会社ですけどそれからずっとです。時代とともに織物の中身は変わってきているので、最近ではオリジナルの商品も製作しています。本業は、キラキラの派手な織物と地味な掛け軸の生地を織ることですが、最近では座布団や和雑貨を作ったりもしています。その他にも、有名ブランドのスニーカーも作ってヨーロッパで販売したこともあります。数年前からは、大学生さん達にお願いして、コラボ商品で朱印帳を販売したりするようになりました。

 これまで多くの機屋はOEM生産が中心でしたが、少しずつオリジナルの商品も出すようになってきました。それは、様々な展示会の折にバイヤーさんたちから「富士吉田で織物を織っているんですか」ということを言われることがあったからです。その時は驚きましたが、確かにOEMを中心にしていると富士吉田産地ってことが表に出ないので、これはまずいと思い、「富士吉田ブランド」としてオリジナル商品を作るようにしました。しかし、私たちは、これまで問屋さんに頼まれて作っていただけなので「織る技術」はあっても「物を生み出す能力」がありませんでした。そこで、大学生や、「ハタオリトラベル」と共同で商品開発をし、東京のデパートで催事をするようにしました。イベントをするためには、人件費や場所代がかかるので採算は合わないけれど、この期間にいいPRにはなっていると思います。

 実は、そんな販売会を実施するうちに、以前共同で商品を開発した大学生が卒業してうちに就職してくれたんですよ。やっぱり若い子の力がないと地域の活性化にはなりません。昔はそこら中で織機の音が聞こえていたけれど、今では本当に限られたところでしか生産してないので、みんな織物のことを知らないんですよ。だから、織物になるまでの工程もほとんど知られていません。柄を作るには、昔は方眼紙に色を塗りつぶしてやっていたんですよ。今はパソコンで作業しますが、簡単ではないんですよね。今は会社の数自体が減っているので、自分のとこで織れないものは相手に織ってもらって、逆に相手が織れないものをうちで織るというお互いの協力が不可欠になってきました。今後は、益々PR活動に力を入れていかなければと思っています。

 大変なことばかり言いましたが、やっぱり物づくりの楽しさっていうのを是非みんなに味あわせたいんですよね。「無」から「有」を作ることは、本当にすごいことだと思うんですよ。材料をそろえて色から作って、さぁどうですかって見せることが楽しさだと思うんですね。そういうのをもっと多くの人に知ってもらいたいです。 今はやっぱり情報の発信がとても大切だと思いますね。うどん部さんは、吉田のうどんのフリーペーパーやホームページを製作しているので、沢山の人が期待していると思うんですよ。インターネットが武器になる時代だからこそ、そこに力を入れて頑張ったらいいのではないでしょうか。これからも期待していますので、頑張ってください!!!